「クリフト。神様を信じるって、どういう感じ?」 おれが一緒に薪を集めながらそう言うと、クリフトはあからさまに顔をしかめた。 「……なんで私に質問するんですか?」 「だってお前神官じゃん。どうせなら専門職に聞いた方がいいだろ?」 「いえ、そういうことではなく。あなたは私が嫌いでしょう?」 おれは思わず目をぱちくりさせてしまった。 「なんで?」 「………なんで、って………ちょっと前にあなたと私はぶつかりあったじゃないですか」 「ああ、アリーナとお前が喧嘩した時のあれな。けどなんでそれでおれがお前を嫌ってることになるわけ?」 「……ムカつく≠ニおっしゃっていましたし」 「そりゃおれお前にはムカついてるけどさ。でも別に嫌いじゃないよ」 「……腹立たしいと思っている時点で嫌いということになるのでは?」 おれは呆れて口を開ける。こいつおれより世間知らず――っていうか人情の機微ってのに疎いかもしれない。 「好きだから、尊敬してるから許せないことっていうのもあるだろ。おれはお前のアリーナのためなら死ねるってくらいアリーナ大好きなとこ、ある意味すげぇって思うしその根性は尊敬してるよ。ムカつくけど」 「………………」 クリフトはなぜかすごく渋い顔をした。どくだみ茶でも飲んだ時みたいな。別におれおかしいこと言ってないだろーに。 「……あなたという人は、妙な人ですね。そういうことを口に出して言いますか、普通」 「別に妙でもなんでもいいけどさ。よく言われるし。――で、神様を信じるのってどんな感じ?」 話を元に戻すと、クリフトは眉根を寄せて難しい顔をした。 「なんでそんなことを聞くんですか?」 「おれ、神様を信じる気持ちってわかんないから。だから神様を信じるってどういうことなのか知りたかったんだ」 「教会で祈ったことはないんですか?」 「おれの村に教会なかったもん」 「………………」 クリフトはまた少し顔をしかめた。そんなに難しいこと聞いたかな、おれ。神官ならこういう質問慣れてると思ったんだけど。 「説明できない?」 「いえ、そういうわけでは。……ただ、こればっかりは信仰が身近でない人にはわかりにくいかもしれません」 「わかりにくくてもいいから話してみてくれよ」 「そうですか、では……そうですね、信仰というのはいうなれば、絶対的に善なる自分を自分の中に作り出す――というのが一番近いかもしれません」 「………なにそれ」 わけわかんねーぞ。 「人は間違いを犯します。だから絶対的に正しい道を誰かに示してほしいと思う。辛い時に誰かに自分の選んだ道は間違っていないと言ってもらいたいと思う。信仰は、それに似た働きをするのです」 「……神様がなんかお告げでもしてくれるわけ?」 クリフトは苦笑した。 「いえ、そういうことではなく。……祈りというのはいつどこにいても誰でも逃げ込める隠れ家だとある宗教家が説いていましたが、それはある意味正しいと思います。神という存在を信じていると、神の教え≠ニいう絶対的な規範が自分の中にできてくるのです。それは教会の教えと必ずしも一致するとは限りませんが、自分の中のこれ以上ない真実となります」 「…………」 「神に祈るというのはその自分の中の絶対善に力を貸してもらうということだと私は思います。絶対善は間違えない、裏切らない、そして厳しくも優しい。そういう存在を支えにすることで迷いから抜け出す。……私にとって神を信じるというのは、そういうことです」 「……つまりさ。信仰って本当に神様がいるかどうかは全然関係なくて、神様の教えってのを自分で勝手にこうしようって決める時に使うだけ?」 おれがそう言うと、クリフトはぷっと噴き出した。おかしそうにくつくつ笑いながら答える。 「そう言ってしまうと身も蓋もありませんが。そう言われてみればそうかもしれませんね」 「ふーん……」 おれはちょっと首を傾げながらも、こいつがおれの前で笑ったの初めてだってことに気づいて、ちょっと嬉しかった。 キングレオを倒してから一ヶ月半。おれたちはサントハイム城に向かっていた。 理由はひとつ、サントハイムにいるバルザック――マーニャとミネアの親父さんの仇を倒すためだ。 本来ならブライさんのルーラで飛んでいけそうなとこだと思うんだけど、ルーラは仲間のうち一人でも行ったことがない場所だとうまく働かないそうなんで、結局船と徒歩。一応エンドールまではルーラで飛んで、そこから船と歩きってことになったんだけど。 八人でのコンビネーションのためのチームワークを作り出すことと、全員のレベルアップ。そのためにおれたちはサントハイムという国を歩いて縦断していた。まぁ、いろんな街とかホフマンが砂漠に新しい街を作り出したとかいう噂を確かめるっていうのも少しはあったけど。……ともかく、魔物がかなり強かったし、行軍の合間に鍛錬もできたんで、レベルアップはできたと思う。 コンビネーションの方もだいたいコツはつかめてきた。それぞれの役割分担ができてきたっていうか。基本はアリーナとおれが最初に突っ込み、ライアンさんがその後ろで攻撃しつつ中・後衛のガード。クリフトとミネアは中衛で回復・補助呪文主体に行動しつつたまに攻撃、ブライさんとマーニャが最後衛ででかい攻撃呪文をぶちかまし、トルネコさんは遊撃要員として手の足りないところに向かう。 その流れができて、お互いの呼吸がつかめてきた感じがあった。……クリフトが常にアリーナ最優先なのは困ったもんだけど、それも想定しておけば何とかなるし。切り込み隊長のアリーナが一番傷負うのは確かだしな。 で、その行軍も少しずつ終わりに近づいてきた、らしい。明日にはサントハイム城下町のサランってとこに着くそうで、そこで宿を取ってから改めてサントハイム城のバルザックを襲撃、という予定になっている。 つまり親父さんの仇ともうすぐあいまみえることになるわけで、ミネアとマーニャはあからさまに口数が少ない。特にミネアなんかすげぇ殺気立ってて怖ぇくらい。マーニャは静かに闘志をたぎらせて、テンション上げてるって感じ。 おれは正直姉くらい特別に思ってる二人が人殺しのことばっか考えてるの嬉しくなかったけど、おれだって親を殺した相手をぶっ殺してやりたいって気持ちはわかるつもりだから、なんにも言えない。ただ黙って見守ってるしかしてやれることが思いつかなかった。 で、普段一番喋る二人と喋れないとなると、自然他の人間のところに行くわけで。クリフトとも一緒にいろいろ仕事したり話しかけたりしてるうちに、向こうもある程度は打ち解けてくれたみたいだった。 「クリフトとユーリル、少し仲良くなったみたいね」 アリーナがスープをすすりながら真面目な顔で言うのに、クリフトはぎこちない笑みを浮かべた。 「そうでしょうか……」 「そうよ。普通に話すようになってるもの。いいことだと思うわ、パーティ内で仲の悪い人たちがいるなんていやだもの」 「いえ、姫様、私は決して彼と仲が悪いわけでは……」 慌てたように言い訳を口にするクリフトに(つかこの期に及んで彼とか言ってる辺りにすっげー含むもん感じるんだけど?)かまわず、おれはうなずいた。 「そーだな。おれもクリフトと仲良くしたいと思ってるよ」 「え……」 「そう? よかった! 二人が仲良くしてくれたら嬉しいわ、わたし二人とも大好きだから!」 満面の笑顔になるアリーナに、クリフトはなんともいえない顔を見せた。困ってるような、苛立ってるような、なんて答えればいいかわかんないって言ってるような。 なんなんだろーなーこいつの考えてることってまだよくわかんねーや、と思いつつおれは苦笑を返してやる。 「へいへい、そりゃどーも。おれもアリーナのことは好きだよ」 そう言うと、アリーナはちょっと顔を赤らめてうなずいた。 「うん……ありがとう」 「礼言うことでもねーだろ」 「でも、そんな風に好きとか言われたの初めてだったし。ちょっと嬉しかったから」 「ふーん……」 なんか意外だ。アリーナの性格ならいろんな奴に言われてそうな気がするけど。 「やはり王女様ともなると好きだと言うのは畏れ多いと思われてしまうのですかなぁ。アリーナさんなら山ほどの殿方に愛を囁かれていそうなものですが」 トルネコさんが口を挟むと、アリーナはむーっと頬を膨らませた。 「パーティとかで言われたりはしたけど、そんな言葉みんな嘘だわ。わたしに言ってるんじゃなくて王女に言ってるだけだもの」 「これ、姫様……殿方のご好意は素直に受けるよう何度も……」 「だってブライだって思わないの? あんなパーティなんて嘘っこばっかりだって。わたし大嫌いだった。コルセットはきついし服は動きにくいし」 「……確かにアリーナ姫には宮廷のパーティで繰り広げられる陰謀劇は似合わぬな。あなたはどんな場所にせよ、正々堂々の闘いこそがふさわしい」 「ライアンさんもそう思う!?」 「これ、姫様!」 おれはお喋りしながらも、こいつはたぶんまだ実感がないんだろーなーとアリーナを見ていた。故郷が穢されるということを頭の中で想像はしていても、いまいちピンときてないんだろう。でなきゃこんな風に笑えるわけない。ま、その時がくりゃ嫌でも実感すんだろーし口出す気はないけど。 それよりも気になったのはクリフトだった。なんかこいつの方から、すげぇ殺気っつーか、怨念みたいの感じんだけど。 アリーナ関係で嫉妬してんだろーなってーのはわかるけど……なんでおれなわけ? サランに着く前にサントハイム城を偵察して、魔物に荒らされた惨状を見て、アリーナはあからさまにショックを受けていた。まぁ当然だろうけど。 ブライさんもそれなりにへこんでたみたいだった。クリフトはアリーナの気持ちばっか心配してたけど。 マーニャとミネアは今にも突撃しそうな顔してる。それをなんとか引っ張ってきてサランに連れてきて、宿を取って作戦会議に入った。 「……基本は奇襲攻撃でしょうな。地の利はこちらにある。敵の魔物どもが対応するより早くバルザックを襲撃し、倒す」 「けどバルザックがどこにいるかわからないだろ?」 「……あいつは玉座にいるわ」 そうぼそりと言ったのはマーニャだった。 「……玉座?」 「そう。あいつはそういう奴よ。肥大化した見栄と自尊心のかたまり。居座るなら一番目立つ、一番偉そうに見える場所に決まってる」 その瞳には、なんていうか暗い炎ってやつがあった。自分の心まで焼いてしまうような、黒い炎。 隣で黙ってうなずくミネアの瞳にも同じものがあった。同じものっていうより、もっと強烈って言っていいかもしれない。マーニャはまだ憎しみをコントロールして戦闘力に変えるしたたかさがあるけど、ミネアはマジで刺し違えてでも、死んでも全然かまわないから殺してやるって顔してる。 おれはなんだかひどく痛ましくなった。マーニャ、ミネア――お前らにはそんな顔よりもっと似合う顔があるのに。 そんなこと、おれには言えやしないけどさ。 「……そか。じゃ、玉座への道筋なんだけど――」 「わたしが案内するわ」 そう燃える瞳で言ったのはアリーナだった。 「生まれた時からあのお城にいて、見張りを出し抜いたり部屋から抜け出したりしてたんだもの。見つかりにくい道ならブライよりよく知ってるって自信があるわ」 「姫様……そのようなことに自信を持たれずとも」 「そんなこと今はどうでもいい。……わたし、バルザックが許せないの。マーニャやミネアのお父さんを殺し、わたしたちのお城を穢したやつ。わたしだってそいつに鉄拳をお見舞いしてやりたい」 そう言い放つアリーナの瞳に燃える怒りはどこまでも単純で純粋だ。敵は悪い奴、だから倒す。わかりやすい正義の怒りに燃えるお姫様。世間知らずな甘ちゃん、っつわれても反論はできねぇな。 けど、こいつはこいつなりに一生懸命なんだ、ってのはおれだってわかる。 「わかった。アリーナの道案内で速攻で攻めるって手で行こう。で、玉座にたどり着いたら後方を警戒しつつ総力戦。トルネコさんとライアンさんには他の魔物が入ってこられないように後方のガードをお願いしたい、もちろん状況次第だけど。そっちの回復役はクリフトな」 「……私は姫様の臣です。姫様を守るのが私の使命です、私は姫様と共に――」 「だめ。お前ただでさえ回復アリーナ最優先じゃん。普段ならそれも想定して動けばいいだけのことだけど、敵はキングレオより強いんだろ? だったら回復役にはぎりぎりまで攻撃してたとしても死にそうな人優先する奴じゃないと」 「しかし!」 「……私も回復役としては不適格かもしれませんよ。他人を見ている余裕なんてないでしょうから」 ぼそりとミネアが言ったけど、おれは首肯せず肩をすくめた。 「それでもミネアなら目の前でパーティの仲間が倒れそうになってたら危ない人から回復するだろ。ミネアは絶対死にそうな仲間を見捨てるなんてことはしない。そこはおれは絶対的に信用してるんだ」 「……ユーリル……」 「……私は死にそうな仲間を見捨てる、というわけですか」 きつい瞳でおれを睨むクリフトに、おれはまた肩をすくめてみせた。 「そうは言ってない。ただ、お前はどこまでも優先順位がアリーナだろ。あと一撃で死ぬっていう仲間と、あと二回は耐えられるってアリーナがいたらアリーナ先に回復するじゃん。それじゃ困るんだよ、今回は」 「……っ」 「クリフト。お前にとってはアリーナの臣っていうのが絶対優先なのかもしれない。けど、お前はそれと同時にパーティメンバーなんだ。アリーナの臣っていう、言ってみりゃ気持ちの理由でいつも自分の都合押し通せると思われちゃ困る」 「……っアリーナ様はサントハイムのお世継ぎ! 万一お命を失うようなことがあれば――」 「クリフト! やめてよ! それじゃまるでわたしの命が他のみんなのより重いみたいじゃない!」 クリフト的にはそうなんだろーなー、と思ったけどおれは黙ってクリフトを見た。アリーナに本気で怒られたクリフトはたまらなく思いつめた顔で唇を噛んでいる。 「わたしたちみんなに大切な人がいて、大切に思ってくれる人がいて。みんな大事なの、みんな生きて帰らなきゃ駄目なの。だからわたしだけ特別とか、そういう風に思わないで!」 「………アリーナ様………」 クリフトは泣きそうな顔でアリーナを見つめる。クリフトにしてみりゃきっつい言葉なんだろーな。惚れた相手なんだから特別に思わないでくれっつーのは無理な話だろ。それをその相手から直々にきっぱり断られちゃあなぁ。 けど、クリフトにはそれに怒る資格はないんだ。だってクリフトはアリーナに、なんにも言ってないんだから。言ってないのに気持ちを慮ってくれないって怒るのは妙な話だろうし、おれとしてはアリーナの言ってることの方が正しく聞こえる。 で、おれはアリーナの言葉にうなずいた。 「そーいうことだ。パーティの中で特に大切な人がいるのは当然だしそれを行動で示すのも悪いとは思わない。だけどパーティ組んでる以上、ひいきの引き倒しされちゃ困るんだ。――クリフト、悪いが今回は、お前の自業自得だぜ」 「――――…………」 クリフトは一度ひどく辛そうな顔で目を閉じて、それから小さく「わかりました」と言った。 サランの夜。おれは寝付けなくて、宿の中をうろうろしていた。 マーニャは今頃なにしてるんだろう。ミネアは、アリーナは? いろんな人にこだわりのある一戦、おれにしてやれることはなにかないか? そんなことばかり考えて眠れなかったんだ。 おれだったらどうだろう。仇が目の前にいたら。故郷を穢してる奴が目の前にいたら。そんなことをちらりと考えてすぐやめた。そんなんその時になってみないとわかんねぇよ。 マーニャとミネアは二人で部屋を取ってそこから出てこない。憎しみをたぎらせてるんだろうか。よけいなものを見たり聞いたりして憎しみが薄れるのが怖いんだろうか。 なんにせよ、部屋から出てきてくれないんじゃ、おれとしてはなんともしようがない。 食堂まで降りてくると、アリーナとクリフトがなにやら話してる。なんかちょっと険悪な雰囲気だ。酒でも飲んでるのか、あいつら? お邪魔かな、と一瞬思ったんだが、立ち去るより早くアリーナが「ユーリル……」とすがるような声を上げてくださり、逃げるわけにはいかなくなった。仕方なくすたすたと二人のそばに歩み寄り、横の椅子に座る。 「なんの話してたんだ?」 言いながらちらりとクリフトを見る。……だからクリフト、不可抗力なんだからそんな苦虫噛み潰したような顔すんなよ。 「……サントハイム城のこと。クリフトは悔しくないのって聞いてたの。わたしたちのサントハイム城が穢されて、魔物にいいようにされて悔しくないのって」 「……それで?」 「……悔しい、とお答えしました。けれど冷静にならねばならない、とも。怒りに身を任せては身を滅ぼす結果になりかねない、と」 うん、正論だ。 「で、アリーナはどう思った?」 「……そうかもしれない、とは、思ったわ。だけど……」 きっ、と苛烈な視線でおれを睨みつける。 「だけど納得はできない! だってどうして冷静でいられるっていうの? わたしたちの城が、ずっと暮らしてきた城が。お父様とお母様、それにみんなの思い出が詰まった城が魔物たちに穢されているのに! 許せない――冷静でなんていられるもんですか!」 そして一瞬すがるような視線を俺に向け、 「ユーリルは……どう思うの?」 おれはため息をつきたくなったが堪えた。アリーナに切れられるのは嫌だしな。 「どっちも正しいと思う」 「え……」 「アリーナ。お前は許せないっつーけど、許せないからこそ頭にくるからこそ冷静にならなきゃやられるっつーの、わかってんだろ?」 「………それは」 「クリフト。お前はアリーナが怪我を負わないようにって冷静になれっつったんだろうけど、アリーナが感情のテンションに応じて強くなってくタイプの戦士だって、わかってんだろ?」 「それは……ですが」 「どっちの言い分も正しいと思うよ。……つかさ、おれに結論なんか出せるわけないじゃん。この三人の中で一番年下なのおれだぜ。おれにわかるのは、アリーナが故郷穢されてすっげー腹立って傷ついてんのと、クリフトがめちゃくちゃアリーナが大切だってことだけ」 「ゆ……っ、勇者さん!」 「………………」 「一応リーダーとして言っとくと、さ。アリーナ、腹立てるのは悪いことじゃねーけど、お前の戦う理由それだけじゃねーだろ。クリフト、大切なものが決まってんのはいいと思うけど、おれらやアリーナもお前が大切なの忘れんなよな。そんだけ」 おれは立ち上がった。話してるうちになんだか眠気が兆してきたんだ。 「お前らも早く寝ろよな。眠れないんなら話し相手ぐらいならなってやるから」 「……ユーリル!」 アリーナが叫ぶのに、おれは振り返った。 「なんだよ?」 「あのね――あの。わたし……」 少し口ごもって、それからにこっと笑みを浮かべ。 「わたしたちも、ユーリルが眠れない時、話し相手になるからね。相談役にもなるからね。ぜったいよ」 おれはちょっと不意をうたれて、たぶんかなり間抜けな顔をし、それから笑った。 「じゃ、そういう時になったら頼むとすっか」 「………うん」 アリーナは少し照れくさそうに、ふふっと笑った。クリフトは、なんか怨念こっちに向けてたけど。だからなんでそうなるんだよ。 バルザックとの戦闘自体は思ったよりあっさり済んだ。マーニャがメラミを連打し、ミネアがバギマと攻撃をかましまくり、アリーナが会心の一撃を出しまくり。 回復が必要になった時もあったけど、おれもベホマを覚えてたんでそれで充分だったし、ミネアも指示したら回復してくれたし。 けど勝っても全員の雰囲気は暗かった。勝ってもサントハイムの人たちが戻ってこなかったのと、復讐の虚しさってやつをマーニャもミネアもひしひしと感じてたからだと思う。 食事を終えるとアリーナは自室に引っ込み、マーニャは散歩してくると言って外へ、ミネアさんはオーリンに仇を討ったことを報告すると暗い目で言ってキメラの翼を持って出て行った。 クリフトは速攻アリーナを追い、残されたおれたち男四人は顔を突き合わせて相談する。 「アリーナ様はクリフトめに任せておきましょう。この老いぼれよりも年の近い者の方が話をしやすいじゃろう」 「ミネアさんはオーリンさんと話をなさるそうですからまだマシですが、マーニャさんは大丈夫でしょうか……」 「マーニャはおれが見ておくよ。……ミネアの方、誰か見守っといてくんないかな」 「では、俺が行こう。ブライ殿、申し訳ないがルーラで送っていただけないか」 「ふむ、承った」 「では、私はここでお茶の準備でもしておくことにしましょう。みなさんが戻ってきた時のためにね」 そう話が決まって、おれたちは行動を開始した。トルネコさん以外は外に出て、おれはマーニャを追う。 ……あえてマーニャを選んだのに、下心がないとは言えないけど。でも、これはしょうがないと思う。 苦しんでる仲間が複数いる時、一番大事な人を優先してしまうのは。 おれは宿の外に出てマーニャを探す。どこに行ったかはわかってた。マーニャは辛い時、いつもすごく寂しい場所に行く。 人の気配がない、うらぶれた場所。おれはそういう場所に心当たりがあった。 教会の裏手の人気のない空き地。そこにやっぱりマーニャはいた。 微妙にアレンジされた身かわしの服からすらりと伸びた足。服の上からでもわかる絶妙のプロポーション。腰まで伸びた艶やかな紫紺の髪。 ――きれいだ、と思う。 マーニャは本当にきれいだ。化粧ののりが悪いだの肌が荒れてるだのいつもぶーぶー言ってるけど、マーニャは本当に、すごくきれいだ。 そして自分の美しさを十二分に知っていて、活用している。体に伸びる男のスケベ心満載の視線を受けてにっこり笑って男をひざまずかせてみせる。 そういうところが、すごくいいなと思う。 「―――あら、ユーちゃんじゃなーい。こんなとこまで追ってくるなんて、そんなにお姉さんに会いたかった?」 しばらくじっと後姿を見ていたら気配に気づかれて振り向かれた。おれはなんだかひどく恥ずかしくなってぶっきらぼうに言う。 「ガキ扱いするなっていつも言ってるだろ」 「ふふん、そーいうこと真顔で言えちゃううちはまだガキよ」 「……ガキでも、女を胸の中で泣かせることはできるさ」 きっとマーニャを見て、すたすたと近寄る。マーニャに向けて腕を伸ばす。 だがマーニャは苦く笑んで、おれの腕からするりと逃れた。 「十年早いわ。そんなことを言うのは」 「……なんでだよ。おれじゃ駄目なのかよ」 「………駄目よ。あんたみたいなガキじゃ、百戦錬磨のマーニャ姐さんは食い足りないの」 「はぐらかすな!」 おれは今度こそマーニャの体を引き寄せ、胸の中に抱きしめた。マーニャの細くて、だけど豊満で、柔らかい感触が伝わってくる。 マーニャの手がおれの胸を押す。 「……放してよ。無理やりって言うのは趣味じゃないわ」 「こうしないとマーニャはすぐ逃げるだろ! おれから!」 「誰が逃げてるって? ふざけてるとその頭焼くわよ」 「焼いてみろよ。それでもおれは放さない!」 「……っ舐めんじゃないわよ、このクソガキ!」 ぱぁん! と強烈な平手打ちがおれの頬に見舞われた。きらきらしく輝くアメジストの瞳が怒りに燃えておれを睨みつける。 「あたしをそんじょそこらの安い女と一緒にすんじゃないわよ。あたしはね、男にいいようにされるのは大っ嫌いなのよ! 自分勝手な感情で突っ走られたって迷惑なのよ、わかる、迷惑なの!」 「……んなんじゃない、おれはただ」 「ただなによ!」 「マーニャと……一緒に! 苦しめたら、辛い気持ち分け合えたら、お前が、少しは楽になるんじゃないか、って……」 マーニャの瞳の輝きが一瞬揺らいだが、それは本当に一瞬だった。くい、と唇の両端を吊り上げて、嘲笑うように言う。 「は。笑わせないでよ、お子様が。あたしの苦しみを分け合えるほど偉いと思ってんの、自分が? ばっかじゃないのあんた、あたしにとってあんたはただのパーティメンバー、それ以上の何者でもないのよ」 「……嘘、つくなよ。お前がおれをそんな風に思ってるわけない」 「自惚れてんじゃないわよ。あんたはただのクソガキよ。そんな奴あたしが相手にすると思ってんの?」 「っ本当にただのクソガキって思ってたら! おれが死にたいくらい苦しい時一晩中抱きしめてくれたりも、一緒に泣いてくれたりも――」 おれは一瞬口ごもって、それから真剣な気持ちをこめて言った。 「抱かせてくれたりも、しないだろ」 また一瞬マーニャの瞳が揺らぐ。けれどマーニャはすぐせせら笑うように言った。 「ああ、若い男を食うのもたまには悪くないかと思ってやったあれね。しょっぼいセックスだったわね、へたくそなわりに回数多くて。まぁアレはそれなりに大きかったからまだマシだったけど?」 そしてにぃ、と笑ってすぅ、と誘うように胸元と足を開いてみせる。 「なんだったらまたしてあげましょうか? ここで? 少しは上達したのか確かめるのに? 楽しませてあげるわよ?」 「…………っ!」 おれはどんっ、とマーニャを突き飛ばす。 「バカヤロウっ!」 そしてそう叫んで、おれは駆け出した。 わかってる、マーニャがなんであんなことしたかわかってる――走りながらおれは思った。涙がこぼれるのを必死に堪えて。 マーニャはおれに諦めさせたいんだ。マーニャへの気持ちを。マーニャはずっとおれのその気持ちをかわしてきた、何度告白しても「ガキには興味ないの」って言って。 だけど、それはわかってても、おれは。マーニャに馬鹿にしたみたいなこと言われるのも、抱かせてくれた時の思い出を穢されるのも。めちゃくちゃに、ショックで、悔しかった。 ちくしょう。ちくしょうちくしょうちくしょう。おれだって、おれだって好きでマーニャより九歳もガキに生まれてきたわけじゃない。 もっと生まれてくるのが早ければ、おれは相手してもらえたのかよ。だけどそんなのおれが選んだわけじゃない。選べることじゃないんだ。 おれが勇者だって、選べないのと同じように。 「ユーリル!」 名前を呼ばれて、おれは足を止めて声のした方を見た。 ――アリーナがそこにいた。目を大きく見開いて、息を弾ませながらこっちを見ている。 「どうしたの、こんなところで? マーニャのところへ行ってたんじゃなかったの?」 「……お前こそ、部屋にいたんじゃなかったのか」 「あ、うん……クリフトに励ましてもらって。一人じゃない、みんないるんだって思ったらなんだか元気出てきて。それでこれからも頑張るぞ、って稽古に行くつもりだったんだけど……」 そこでアリーナは少し眉をひそめて、聞いてきた。 「どうかしたの、ユーリル? 大丈夫?」 「………アリーナ」 おれは、ふらふらっ、とアリーナに抱きついていた。 「ユ……ユーリル!?」 「アリーナ」 アリーナの気遣いが嬉しかった。寂しくて苦しくて辛くて、誰かに慰めてほしい時に、心配してくれる人がいるありがたさを久々に実感した。 「アリーナ、ちょっとおれのこと抱きしめてくんない?」 「え……?」 「犬猫抱きしめるみたいな気持ちでいいからさ。ぎゅって、優しく」 「…………」 アリーナは戸惑ったみたいだったけど、おそるおそるおれの背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめてくれた。おれの注文どおりに、とても優しく。 ひいはあ言いながら追いついてきたクリフトに顔面蒼白になって怒鳴られたけど、その時にはもうおれもかなり回復してたんで怒鳴られるのもかえって嬉しかったんだ。 ―――これもあとで聞いた話だけど、アリーナはこの時からおれに恋を始めたらしい。この時は自覚はなかったそうだけど。 だけどもちろん、おれはそんなことこれっぽっちも気づいちゃいなかったんだ。 |